『ふりだしの恋愛人生』

10年連れ添った彼にフラれた26女のあれこれ

察してを醸すのはやめたい

こんばんは、はいりです。

最近バイトに、物件探しに、入社手続きにと、ぐるぐる走り回っていたので、ぜんぜん文章を書いていませんでした。今日は時間も気持ちも余裕があるので、深夜のマックでゆったり書いてみることにします。

 

 

長年一緒にいると、気付いたら「好き」「愛してる」「ありがとう」が素直に言えなくなっていた。単純に照れくさいのもあるし、相手のことを「当たり前」に大切に思っているから、わざわざ改めて言わなくてもいいか、という考えになる。

わたしが彼とお別れに至ってしまった理由は、以前話した通り「彼の環境の変化」が主な理由である。もちろんそれは正しいことには違いないが、なんというか、もっと根本的な原因があるんじゃないか、とバイトにて延々単純作業をしながらふと思った。

 

その「根本的な原因」を端的にいうと、所謂「コミュニケーション不足」ということになるのだと思う。

別れる前の数年間、わたしは何度彼に「愛してる」と言っただろうか。「愛してる」なんていかにもな言葉じゃなくて、「好き」でもいい。何回彼に伝えただろうか。

思い返してみたけれど、おそらくほとんど0に近い。わたしが彼を愛していたのは当たり前のことだし、そんな当たり前のことを向こうもわかってる、なんて思っていたからわざわざ口に出すことなんてしなかった。わたしは10年という、時間に甘えていたのだ。

これと同じような感覚で、日々のあれこれや、今自分が考えていることも、わたしは彼にわざわざ言わなくなった。言葉で伝えようとはせず、ただ「察して」の雰囲気を演出していた。

察してもらえると、ああこの人は自分のことをよく解っている、と安心する。だがこの「察して」ほど、厄介で面倒なものはないなと思う。「察する」ことは、こちらが伝えようにも上手く伝えきれないニュアンスを相手が拾い上げてくれることであり、それは普段から互いに意思疎通をしているから出来ることなのだ。こちらは何も伝える努力はしないで「察して」だなんて、冷静に考えると何様だと言わざるを得ない。

同時に、私は彼のことを察している風を装い続けた。長すぎる会えない時間、忙しい彼を察しているというのを言い訳に、不安な気持ちをほとんど伝えなかった。彼が何を考えているのか全く理解していないのに、彼を理解し平気なふりをし続けた。こうしてさも聞き分けのよい、懐の深い彼女のように振る舞い、自らのプライドを保ってきたのである。そして、本当は内心がたがたなんだから察してよ、というサインを彼に送り続けていたんだと思う。こうして改めてみると、いかにわたしがメンドくさい女であったかが嫌という程わかる。

この無意識の「察して」に、彼は疲れてしまったのかもしれない。私は彼にとって一緒にいると安らげる存在ではなく、安らぎを与えなければならない相手として見られていたのではないかと思う。

 

声にするでも、手紙でもいい。次に誰かと付き合うことになったなら、もっと自分の気持ちをきちんと相手に伝えようと強く思った。長年つきあうと、どうしても記念日などの行事に無関心になりがちだけど、こういうイベントでいちいち「好き」と伝えていきたいと思う。こんな初歩的なことを改めて宣言するのは少し恥ずかしいが、あえて書かせてもらった。

 

余談だが、最近わたしの知り合いカップルの話を聞いた。

こういう話題にしばしば出てくる内容で、「どっちがより相手に対して無関心か競争」というのがある。一体どういうことかというと、本当は内心互いに興味津々ですごく好きなのに、無関心を装うことで相手を不安にさせ、執着心を煽り合うというものだ。こういう風に、お互いの愛情を天秤にかけるような駆け引きをしているカップルはよく見かける。お願いだから不毛だからやめてほしい。

自分のことを棚に上げた発言であると自覚しているが、こんなことをしている人達の耳元で声を大にして言いたい。相手に「好きだよ、あなたのことが大切、いつもありがとう」と今すぐ言ってほしい。よっぽど屈折した人じゃない限り、自分を必要としている人に対して、その気持ちに応えたくなるものだ。それに自分に対する需要がある場所に居たほうが、大概人は幸せである、と思うからだ。

 

ここまで偉そうにつらつらと書いたが、これらのことは他の誰でもなく、わたし自身に一番主張したい。これからは気をつけよう。

 

お互いの愛をバランスで捉えると、辛いだけ。

そういう恋愛は、もうしたくないなあと思う。